もし、戸田と同じ立場だったら自分はどうするか?〜「海と毒薬」〜
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2019年8月。令和初の夏がやってきました。

長かった梅雨が明けて、肌寒かった7月が嘘のような日差しの強い8月ですね。

セミが鳴き始めて、空の雲は白く、日は刺すように痛く、真夏を感じるそんな日々が続いています。

8月と言えば、私にとっては戦争を考えようかなと思う時期でもあるのです。
(あまり好きではないので普段は戦争物を読まないのですが...)

昨年の毎日新聞読書感想文の高校生部門で内閣総理大臣賞を受賞したのは、「海と毒薬」の感想文でした。

感想文を読んで私も読んでみなければと思っていた本なんです。

言わずと知れた名作である「海と毒薬」、今回は登場人物「戸田」にスポットを当てて考えてみたいと思います。

「海と毒薬」を読んでいて、一番理解できなかったのが「戸田」であり、一番自分に近いのではないかと思ったのも「戸田」だったからです。

なぜ「戸田」に引っかかるものを感じたのか、自分なりに考察してみようと思います。

「海と毒薬」

遠藤周作著 角川文庫(186ページ)

平成30年 改版15版

冒頭に中村明(早稲田大学名誉教授 国語学者)によるあらすじが載っている。
最初にあらすじが載っているものは珍しいので驚きました。

解説は 平野謙(文芸評論家)

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「海と毒薬」のあらすじ

「海と毒薬」は200ページにも満たない小説なのですが、中身がとても濃いです。

目次はこんな感じ。

「海と毒薬」目次
  • 第一章 海と毒薬
  • 第二章 裁かれる人々
  • 第三章 夜が開けるまで

第一章 海と毒薬(アメリカ人捕虜の生体解剖への参加が提案されるまで)

「私」が無愛想で九州訛りのある青黒くむくんだ顔をした中年の町医者勝呂に出会うシーンから始まる。

気胸針を入れる腕は確かで、熟練した結核医でしかできない見事さであった。

勝呂医師に興味を持った「私」は、勝呂医師がF大医学部出身であること、戦争中の生体解剖事件に関わっていたことを知る。

シーンは変わり、戦時下、F大医学部で勝呂が医学生の時にタイムスリップする。

「みんな死んでいく時代」「病院で死なん奴は、毎晩、空襲で死ぬんや」

「死」が人々の身近にある時代。そんなモヤモヤした空気が漂うF大医学部病院。

大杉医学部長が脳溢血で倒れた。医学部長の椅子を巡って、医学部の教授たちが水面下で争いを始める。

勝呂と戸田の上司にあたる橋本教授は、年齢や経歴から言っても医学部長を引き継ぐのは至極当然に思われていた。

しかし、対立候補の権藤教授はF市の西部軍と結びついており、教授たちの大半は権藤派に丸め込まれていた。

橋本教授が医学部長の椅子に座るためには、実績が必要だった。

その実績づくりのために行われた、前医学部長の親類(田部夫人)の手術は橋本教授自らが執刀するも失敗。

医学部長の椅子は絶望的となった。

そんな時に西部軍の医官から提案されたのが、アメリカ捕虜の生体解剖への参加だった。

アメリカ捕虜への生体解剖実験は下記の通り
一、第一捕虜に対して血液に生理的食塩水を注入し、その死亡までの極限可能量を調査す。
二、第二捕虜に対しては血管に空気を注入し、その死亡までの空気量を調査す。
三、第三捕虜に対しては肺を切除し、その死亡までの気管支断端の限界を調査す。

勝呂と戸田は参加を提案され、なぜか二人とも参加することに決める。
「西部軍では銃殺ときめていたんだから、何処で殺されようがおなじことですな」

第二章 裁かれる人々(生体解剖に参加した人たちの事件後の手記、生体解剖直前の様子)

一 看護婦 上田看護婦の過去 事件後の手記

二 医学生 戸田の過去 事件後の手記

三 午後三時 生体解剖直前の様子

第三章 夜のあけるまで(生体解剖の現場の様子、そして終わった後の勝呂と戸田)

生体解剖のシーンはかなり淡々と描かれる。

何もできずに後ろの方でビクビクしている勝呂、いつもの手術と変わらずに作業していく戸田。

生体実験が終わった後、二人は何を思うのか、なにが変わったのか。

二人は疲れ切った心で、屋上で会話する。

勝呂が屋上で一人取り残されるシーンで物語は終わる。

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戸田はどうして生体解剖に参加したのか?

私は読んでいて、「戸田」に違和感も覚えたし、共感も覚えました。

遠藤周作が描いた「戸田」とはどんな人物だったのでしょうか。自分なりに考察してみました。

戸田の人柄を考察する

第二章の手記からわかること。

名前は、戸田剛。

出身は、神戸市灘区。

昭和の初期に生まれ(もしかしたら大正かも)、昭和10年に六甲小学校の生徒であった。

六甲小学校は、生徒の大部分が百姓の子で、戸田は髪の毛を伸ばしている唯一の男の子。

教師からは「戸田くん」と呼ばれ、医者の子として特別扱いされていた。

小学校一年生から通信簿は全甲(今でいうオールA)。毎学年、学芸会では主役、展覧会の絵は金紙が貼られていた。

小さい頃から、大人からかなりちやほやされていたことがわかります。

どうすれば彼等がよろこぶか、どうすればホメられるかを素早くその眼や表情から読み取り、時には無邪気ぶったり、時には利口な子のふりを演じてみせるにはそれほど苦労もいらなかった
(中略)
本能的にぼくは大人たちがぼくに期待しているものが、純真であることと賢いこととの二つだと見抜いていた

「海と毒薬」遠藤周作

教師や両親に気に入られる、媚びを売るのが非常に上手な子だったようです。

こういう風に気に入られようとする行動、誰もがしたことがあるのではないでしょうか

「親に褒めてもらうために、良い子ぶる」とか「作文でちょっと盛る」とか...

「戸田」は大人に気に入られるためについた嘘や演じている自分を見透かされることに、強い恐怖心を抱きます。

見透かされているのではないかと思われる相手に対して強い屈辱感を抱くのが戸田の特徴。

その代わり、嘘や秘密が(教師や両親に)バレないとわかるとどんなことでもやってのけるのです。

多少の後ろめたさ、不安や、自己嫌悪はあったが、それもこの秘密がだれにも嗅ぎつけられないとわかると、やがて消えてしまった。

「海と毒薬」遠藤周作

でもこれは「教師や両親にバレる」ことが対象であって、大人になったら「バレる」「バレない」は関係なくなります。

戸田にとっての自分の行為を見ている対象が、「教師や両親」ではなく徐々に「神様」になっていきます。
自分が今までやってきた悪事を「神様」が全て見ている状態に気づいていきます。

嘘や秘密がない場合、医者として患者が苦しむ姿や死に立ち会った時でも、

はっきり言えば、ぼくは他人の苦痛やその死にたいしても平気なのだ。

「海と毒薬」遠藤周作

このように自分が他者の苦痛などに対して無感動なのを、最初は疑問に思っていなかった。

なぜなら、他の誰もが一皮むければ無感動で、他人の苦痛に対して鈍感で、ウソをついているのではないかと思っているから。

そのために、「他の人も自分と同じではないか」という比較を頻繁にしている。

しかし、良いことをしても嬉しい気持ちになれないし、他人が辛い時も理解できない自分が不思議だ、奇妙だとも思っているようです。

戸田の人柄まとめ
  • 幼い頃から大人にちやほやされてきた
  • 教師や両親に良い子面するのが上手
  • 自分を見透かされることに強い恐怖心を持つ
  • (教師や両親に)バレなければなんでもやって良いと思っている
    →医師になって自分を見ている対象が教師や両親ではなく「神」であることに気づく
  • 他者の苦痛などに対して無感動
    他の誰もが多少なりとも自分と同じだと思っているが、無感動すぎる自分が不思議だとも思っている

戸田が生体解剖への参加を決意するのはなぜか?考察してみた

勝呂と違って、戸田は生体解剖に参加する確固たる目的は3つ考えられます。

その全てかもしれませんし、1つかもしれません。

1つ目は、医者として断る理由がなかった

2つ目は、落ちるところまで落ちて「神」に罰せられたかった

3つ目は、自分の中に「良心」のカケラがあることを確かめたかった

順番に見て行ってみます。

1つ目「医者として断る理由がなかった」

目的とは言えませんが参加する正当な理由にはなります。

戸田の父親は町の内科医であり、おそらく戸田は「父親が医者だからぼくも医者になる」と医者になったのではないかと想像できます。

つまり医者になって何かの目的を達成したいわけではなく、「なんとなく」医者になったのです。

「戸田」にとって、医者としての確固たる価値観などはなく、教授たちが「やる」と言っているから「参加する」という論理が成り立ちます。

この戸田の判断の中には、生体解剖が倫理的にどうかなどは一切考える余地はありません。

 

2つ目「落ちるところまで落ちて「神」に罰せられたかった」

事件後の手記に戸田はこう述べています。

いつかは自分が罰せられるだろう。いつかは自分がそれら半生の報いを受けねばならぬだろうと、はっきり感じたのだ。

「海と毒薬」遠藤周作

先ほども考察しましたが、おそらく戸田は教師や両親に媚びを売るのをやめた時点で「神」の存在を想定するようになっています。

「神」が今までしてきた自分の行為をみていたために、その行為に対して罰を与えるだろう(与えてほしい)と思っています。

戸田は「神」が罰を与える決定的なチャンスが、生体解剖への参加だと考えたのではないでしょうか。

ちなみに戸田は「神」に関して、勝呂にこんなことを言っています。

神というものはあるのかなあ

「海と毒薬」遠藤周作

 

3つ目、「自分の中に「良心」のカケラがあることを確かめたかった」

生体解剖後、手術室に戻った戸田はこう描写されています。

今、戸田のほしいものは呵責だった。胸の烈しい痛みだった。心を引き裂くような後悔の念だった。だが、この手術室に戻ってきても、そうした感情はやっぱり起きてはこなかった。
(中略)
俺には良心がないのだろうか。俺だけではなくほかの連中もみな、このように自分の犯した行為に無感動なのだろうか。

「海と毒薬」遠藤周作

倫理的な一線を逸脱する生体解剖に参加することで、胸の痛み、後悔を体感したかったのではないでしょうか。

自分の中にもし「良心」のカケラがあるならば、それが体感できるはずだと戸田は考えて生体実験に参加したのでは?

結局、呵責や胸の痛み、後悔などの感情は湧き上がってこなかったのですが...

最終的には自分のした行為、無感動な自分を(外面的には)正当化(開き直る)していきます。

あの捕虜を殺したことか。だが、あの捕虜のおかげで何千人の結核患者の治療法がわかるとすれば、あれは殺したんやないぜ。生かしたんや。人間の良心なんて、考えよう一つで、どうにも変わるもんやわ

「海と毒薬」遠藤周作

 

1点だけ、戸田に同情できる部分があるとすれば、

勝呂に度々、「断ろうと思えばまだ機会があるのやで」と言っているところです。

このセリフ、実は自分にも言い聞かせているのではないかとわたしは感じたのです。

戸田の中にも、「参加する」と言ったものの生体解剖に参加することへの迷いがあったのではないかと感じられました。

無感動で非常なだけではなく、「迷い」ながらも参加した戸田の姿が見えるようで仕方ありません。

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戸田と同じ立場だったら自分はどうするか?

戸田は生体解剖のあと、勝呂と2人で屋上で話します。

俺もお前もこんな時代のこんな医学部にいたから捕虜を解剖しただけや。俺たちを罰する連中かて同じ立場におかれたら、どうなったかわからんぜ。世間の罰など、まずまず、そんなもんや

「海と毒薬」遠藤周作

戸田にこのように問題提起されたので自分なりに考えてみました。

戦時下で、「死」がとても身近にあって、日々人々が死んでいく状況だったとしたら...

おそらく私は参加していたのではないかと思います。

もちろん倫理的にはおかしい、狂っている解剖事件です。が、「知的探求」としてはかなり魅力的な実験ではないかと思うのです。

なぜならば、倫理の領域内では決して確かめることのできないデータを取ることができるからです。

普段なら知ることのできないことを、調べられるのは科学者の端くれとしてかなり興味深いのではと思います。

病院で死ななければ、戦争で死ぬという状況で「どうせ死ぬのであれば、将来の研究に役立てよう」という考え方が出てくるのは比較的自然な流れで、おそらく私だったら説得させられていたのではないかと空恐ろしい気持ちになります。

 

このような戦時下でなくても、「知的探求」とは常に非情なもので気をつけないと簡単に倫理の領域をはみ出てしまう可能性は大いにあります。

だから現代の最先端の研究では「倫理委員会」を設けて、人道にもとる行為を抑制するようになっているのです。
(最近ではゲノム編集技術に対して国の中でガイドラインを作る動きが出ていますね)

昭和初期ではそう言った「倫理的」な規則はなかったため、どこまでも「知的探求」ができてしまいこう言った事件に発展してしまったのではないかと思います。

ただ、「戦争中だったから」「あってはならない」という言葉で簡単に片付けられる問題ではないのではないでしょうか。

現代であっても(根底にある考えは)同じような事件は起こり得ます。

人間の「知的探求」が倫理の領域を越えないように常に気をつけなければなりません。

「F大医学部で行われた生体解剖」が全くの悪なのかでしょうか?それを行なった張本人は「正義」の元でそれを行なったのではないかと思います。

その行為が善になるか悪になるかは、その後の時代の流れに依存するところが大いにあります。
裁判で判決が出て、関わった人たちは有罪つまり「悪」ということになっています。

その時、その時に「倫理の領域を越えない」ためには、自分の中で「何が善で、何が悪か」の価値観をしっかり持つことが大切なのではないかと思いました。

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