『二十歳の原点』がいまだに読まれる理由を考えてみた
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夫婦で読書が趣味のえいこです。

先日、夫が『二十歳の原点』を読み終わり、唐突にこんな質問をしてきました。

『二十歳の原点』の本質ってなんだと思う?

こんな正解のない問題を出してくるなんて!

読んだ本の“本質”なんて、今まで全く考えたことなんて無かった!!

 

ということで、夫が唐突に難しい質問をしてきたので『二十歳の原点』の“本質”を考えてみることにしました。

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そもそも『二十歳の原点』ってどんな本だったっけ?

『二十歳の原点』は高野さんのお父様が日記をまとめて、「那須文学」に掲載されました。その後1971年に新潮社から『二十歳の原点』と題名をつけられて出版(現在は絶版)され当時の若者たちの間でベストセラーになりました。1973年には映画化されています。

1979年に文庫版が、2009年にカンゼン社から新装版が発売され、2019年にはコミック版が双葉社から出版されています。『二十歳の原点』の累計発行部数は200万部を超えている、現在でも読まれるベストセラーです。

単行本→映画化→文庫版→新装版→マンガ化

と、ベストセラーの王道を歩んでいる『二十歳の原点』ですが、表面的に言ってしまえば二十歳そこそこの女の子が自殺する前に書き綴っていた半年ほどの日記です。

なぜ、こんなにも読まれるのでしょう?

学園闘争が描かれているから?

詩的に美しいものがあるから?

自殺に至るまでの経緯を辿れるから?

二十歳の若者の心の動きの機微が細やかに描かれているから?

どれも正解かもしれません。が、50年以上前に書かれた個人の日記がこんなにも読まれる理由はもっと別のところにあるのでは?と思うのです。

もっと掘り下げて考えてみようと思います。

高野悦子さんについてと『二十歳の原点』が書かれた背景については別記事にまとめています。

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50年前以上に書かれた個人の日記が今でも読まれる理由はなんだろう

私の尊敬するブロガーであるちきりんさんは、11歳の時に『二十歳の原点』を読んで衝撃を受けたそうです。

11歳のちきりんさんが受けた衝撃とはなんなのでしょう?

11歳の女の子は、

学園闘争のこともわからないし、

二十歳の若者の心の機微のことなんて分からないし、

「死」について考えることも無さそう...

そんな子が心を動かされた“何か”

ちきりんさんは、ご自身のブログの中でこんなことを書いています。

他者の目を一切意識することなく書かれた文章がもつ余りのインパクトに、張り倒されるような衝撃を受けました。

この本(てか日記)を読むことで、自分の感じたこと、感情そのものを、ここまで生々しく他者に伝えることができる日記という表現形式の大きな力を初めて理解できたのです。

この衝撃から、「日記を書こう!」とその日からちきりんさんは日記をつけ始め、現在の「Chikirinの日記」という形になっている訳です。

これは、『二十歳の原点』が現在でも読まれる理由つまり、“この本の本質”にせまる重要なヒントになりそうです。

私はちきりんさんの記事をヒントに『二十歳の原点』の本質を2つ考えてみました。

“一般人の生の声”であること

自分しか見ないもの(他人の目を全く意識しないもの)に嘘を書く人はいませんよね?

『二十歳の原点』には、高野悦子さんが感じたことを正直に書かれています。学園闘争(という歴史的な出来事の)の渦中にいた一学生が、どんなことを感じて、どんなことに悩んでデモに参加していたのかが、嘘偽りなく書かれているのです。

学園闘争を描いた作品はおそらくたくさんありますが、読者にわかりやすく、出版社の意向、自分の立場の正統性を説くなど、読者を意識することで事実を無意識に歪めてしまっている可能性が非常に高いです。

そういう意味では『二十歳の原点』は、学園闘争を考察・理解する上で非常に重要な資料になります。同じように青少年の心の動きを理解するのにも重要な資料にもなり得ます。

日記というのは、その時代・その時に生きた人の“生の声”なので、その当時の生活・出来事を理解するのに役立つ重要な記録なのです。例えば、『アンネの日記』は、第二次世界大戦下のユダヤ人がどのような生活を送っていたのか克明に描かれています。

“考えたことが書かれている”ということ

『二十歳の原点』のもう一つの読まれる理由として、その日考えたこと・感じたことが書かれているということです。

普通日記には、「今日は、公園で保育園のお友達と遊びました。娘は、保育園以外で友達と遊べると、とても楽しそうでした。」みたいな感じで、自分の考えたことではなく、その日あった出来事などを書いてしまいがちです。

高野さんはそうではなく、感じたこと・論理的ではないけどこんなことを考えたということを書いています。

私は大学について、学生であることについて、自分について考え始めた。

高野悦子『二十歳の原点』

と言って、大学は大教室で講義をして資本主義社会に適応した人材を作る工場に過ぎないとか、学生であることは「学生であるあなたへ!」という題をつけて手紙調に考察されています。

日付を追って、高野さんが考えたことのプロセスを一緒に体感できるのがこの本がもつ強さの本質ではないでしょうか?“思考のプロセス”に価値があることは、この記事で考えてみています。

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“本質”を考えるという新しい視点

私は夫に、「この本の本質ってなんだと思う?」と質問されて衝撃を受けました。

なぜなら「この本の“本質”とは?」を考えながら読書したことなんてなかったからです。

でも、今回『二十歳の原点』がなぜこんなに売れるのか?“本質”に迫ってみて新しい視点を得られた気がします。”本質“を考えるという視点は、読書に限らず、日常生活・仕事にも応用が効く視点ではないかと思います。

例えば、片付け。片付けの“本質”を考えることで、片付けの仕方が変わるのではないかと思うのです。片付けとは単に家をきれいにするために片付けるのではなく、次に何かができるようにするためにするもの。と、考えるとよいのでは?と思ったり。(高野悦子さんは次に散らかすために片付けると言っています)

正解がない問題を考えるのは楽しかったなー。

それでは、また!

二十歳の原点に関してはこんな記事を書いています

 

“考えること”に関してはこんな記事を書いています

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