昨年のクリスマスプレゼントに夫が『二十歳の原点』をプレゼントしてくれました。

なぜ、三十歳の私に『二十歳の原点』なのか?

...それは、

私が、ちきりんさんのファンであることを夫が知っているから

『二十歳の原点』はちきりんさんが日記を書くきっかけになった本でもあり、あの尊敬するちきりんさんが衝撃を受けたということで、一度読んでみたいと思っていました。

さて、この『二十歳の原点』を書いた高野悦子さんと書かれた背景について少しまとめておきます。

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『二十歳の原点』の著者、高野悦子さんについて

1949年1月2日、栃木県那須郡で高野家の二女として生まれる(もし現在も生きていたら71歳、いわゆる団塊の世代と言われる世代)

4歳の頃に心臓弁膜症と診断されて、過激な運動が出来なくなる。このことがきっかけで、父親と一緒にマラソンをやるように。それ以来、1人でもよくマラソンをするようになった。1963年(14歳ころ)から日記をつけ始める。

地元の小学校、中学校を卒業し、栃木県立宇都宮女子高等学校に入学。バスケットボール部に所属するが、持病への負担が大きいために部員ではなくてマネージャーに転向するがマネージャー業に幻滅し退部。

1967年、立教大学、明治大学といった東京の名門大学に合格しながらも、「反骨精神・奈良本杏樹の立命館史学、歴史のみやこ京都」と言った条件から立命館大学文学部史学科に進学。

大学入学後初めてメーデーに参加し、社会問題・政治問題・学生運動に戸惑いを感じ、増田四郎の『大学でいかに学ぶべきか』を読み返す。

部落問題研究会に入部し、毎夜、地域の子供会活動に参加する。(部落問題研究会=民青(日本民主青年同盟)であることに煩悶し、退部)

山岳部であった姉の影響で、ワンダーフォーゲル部に入部し山登りを楽しむ。

1969年1月2日から『二十歳の原点』の元となった日記が始まる。最後のノートには「カルチエ」と題されていた。

1969年6月24日、未明、鉄道自殺。

『二十歳の原点』は1969年1月から6月までの約半年の間に綴られた日記であり、その間に起こった学生運動・アルバイト・恋愛事情などが赤裸々に語られている。

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高野悦さんが影響を受けた学生運動とは?

高野悦子さんが大学位にいる間に起こった、1968-70年に起こった学生運動を現在では全共闘運動や学園闘争、大学紛争などと言われています。

最初は個々の大学の問題(学費の問題や寮の問題など)による学生運動であったが、東大・日大闘争をきっかけに全国の大学に広がり、「大学と学生・研究者のあり方を見直すという大学の理念と学問の主体をめぐる運動」となっていきました。

学生側の主張としては、「(大学は)帝国主義的管理に組み込まれた「教育工場」となっており、「大学の自治」自体はもは幻想であり、そういった管理体制の根本から解体することが必要だ!→大学を解体せよ!

ということで、全国の大学でバリケード封鎖や暴力などに訴えて、大学解体を主張するデモが行われました。

基本的には「大学vs学生」という構図ですが、学生側にも様々な団体があったことは『二十歳の原点』にも書いてあって、少しわかりにくかったので整理します。

全共闘:「全学共闘会議」。それぞれの大学に組織され、自分たちの要求を実現させるために闘う組織。「実力闘争」を全面に押し出して、デモでは機動隊と激しく衝突した。メンバーと決意をすれば、誰でも全共闘になれた。(個人的なイメージではちょっと暴力的。)

民青:「日本民主青年同盟」。生活の向上、平和、独立、民主主義、社会進歩を目指す学生集団。(個人的なイメージは政治組織に守られたお利口集団。)

学生同士の「全共闘vs民青」という構図も一部にはあったようです。

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『二十歳の原点』が書かれた当時のことを少し知っていないと、高野さんがどうしてこんなことを言っているのか?寄り添って読めないのではないかと思い、メモがてらまとめてみました。

『二十歳の原点』にまつわる、私の感じたことをチョコチョコ投稿していこうかなと思います。

それでは、また!

 

高野悦子さんと私の“二十歳”を比較してみた記事はこちら

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