『情報の価値』ってなんだろう?私が発信できる情報について考察した
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ブログを始めてから4ヶ月が経ったある日(いまから1ヶ月ほど前のことです)、「このまま書き続けて良のかな?」と思うことがありました。

 

その当時、「検索順位を上げるためにはSEO対策をしなくちゃ!」「Googleの評価を上げるためには...」「キーワード選定してライバル記事を見て勝てそうだったらブログを書く!」とかやってました。

 

ブログを書くノウハウの基本として、「これをやれ!」という感じなのですが、私にとってはこれが辛かった

書く前に色々やらなくちゃいけないとか、勝てそうにないライバル記事を見て戦意喪失したり。

キュレーションサイトや企業サイトの強さに圧倒されたり。

「書きたい!」と思っているのに、結局諦めて書きたいことが書けなくて「なんでブログやってるんだろう?」と自分に問いかけたこともありました。

 

そんな時に、立ち止まって自分で少し考えてみたんです。

「Googleに気に入られる」ために、「キーワードは出来るだけH2タグに入れましょう」とか「タイトルはキーワードを左寄せにしましょう」「リード文は長い方が良い」とか「挨拶で始まるのはSEO的に良くない」とかって小手先のテクニックじゃない?と...

確かにネット上のほぼ全てのコンテンツは、Googleのアルゴリズムに乗っかっていろんな人のところへ届けられています。

ということは、自分が発信したい相手に着実に届くためにはGoogleを攻略した方が良いのです。

でも、小手先のテクニックでGoogleを攻略したとしてもアルゴリズムのアップデートで振り回されてしまいます。(アップデートがあると収益が上がった、下がったなどと言っている人がツイッターでは散見されます)

Googleに気に入られるために努力をして、その努力が無駄に終わったり、発信したいことが発信できなければ何のための努力かわからいですよね。

 

自分が作るべきコンテンツは、小手先のテクニックではなくてもっと深いところで考えて作っていかないといけないのでは?

もっと、長期的に考えて構築して行った方が後々良いことがあるのではないかと。

長期的な運営を考えるのであれば、短期的に需要があって消費される情報ではなくて、長期的に消費されにくい情報を提供するコンテンツを作っていこうという結論に至りました。

 

短期的に需要があって消費される情報も、長期的に消費されにくい情報もそれぞれ『情報の価値』があります。

自分が提供できる『情報の価値』とはなんだ?と考える過程でこの二つを比較してみました。

今回は、『情報の価値』について少し考えたことを書き留めておきます。

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短期的に需要があって消費される情報とは

世の中に溢れる情報のほとんどが、「短期的に需要があって消費される情報」です。

例えば、ニュースやスーパーのお買い得情報(キャンペーンの情報)、「○○に便利なグッズはこれ」という情報などです。

その情報が必要とされる時間はニュースでは数時間〜数日、お買い得情報は数日、便利グッズなどは数ヶ月〜1年くらいでしょうか。

必要とされている時間(例えばキャンペーン期間中)はわりと多くの人が情報を欲しがって情報としての価値は高くなります。

一方、時間が経ってしまう(キャンペーンが終わってしまう)と情報としての価値はほぼ無になってしまいます。

 

短期的で消費される情報は、時間経過とともに価値が下がっていってしまうため素早く・的確に情報を届ける必要があります。

 

これをブログに置き換えると。

短期的で消費される情報を提供したい場合...

素早く・的確に情報が欲しい人に届けるためには、もちろんGoogleをはじめとする検索エンジンにいち早く見つけてもらうことが重要です。

そのためにはSEO対策をしっかりすることが必要になってきます。

また、情報の鮮度をできるだけ落とさないために情報の更新が必要です。

 

このような価値を提供するということは、短期的ではあるが需要が多いので成果を上げやすいし、「この人は有益な情報を発信してくれる」という信頼を得やすいのではないかと思います。

 

私もそう言った、「この育児グッズ便利ですよ」といった情報を中心に発信していた時がありました。

常に情報を更新していかないといけないので、できるだけ前に前に進んでいきたい私は短期的に消費される情報を提供していくことに向いていないのではないかと気が付いたのです。

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長期的に消費されない情報とは

この種類の情報はあまり身近ではないのでわかりにくいかもしれません。

例えば、新聞でいうところの「天声人語」や「社説」がこの種類の情報にあたります。

 

最近は新聞を読む人が減ってききて、自分の必要な情報(その時知りたい消費される情報)だけを手に入れる人が増えてきているので、この種の情報を欲しいと思う人はどんどん少なくなってくるかもしれません。

 

なぜ朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞など新聞社がたくさんあるのでしょうか?

同じようなニュースを届けるだけならば1社あれば十分ですよね。

それは、それぞれの新聞社の根底にある考え方が違うからです。

その考え方を提供しているのが「社説」や「天声人語(一面の下の方にあるコラム)」なのです。

この記事こそが、その新聞社独自の価値を決めているのです。

読者は新聞社の価値観と、自分の価値観が似ている新聞を購読します。また、他の新聞を読むことで自分とは違うものの考え方を得ることができるのです。

 

すこし話が逸れてしまいましたが、(「社説」などの)“考え方”は消費されない情報で、長い目でみるとそのコンテンツ(新聞社)の価値観を決める重要な情報なのです。

読む人は少ないかもしれませんが(新聞を読む人が減ってきているので)、新聞社が社説を書き続けている理由は、コンテンツの基盤となる価値がそこにあるからではないでしょうか。

 

これをブログに置き換えると。

長期的で消費されない情報を提供することは...

発信している人がどういう人か?どういう価値観をもっているのか?を発信することになります。

それを欲している人は非常に少ないです。(特に有益な情報じゃないですからね)

誰かを想定しているわけではないのでSEO対策する必要もないです。

自分の考え方なので、情報をアップデートする必要もありません。

誰かのためになる情報ではないので、それを元に成果につながる可能性は非常に低いです。

 

長期的で消費されない価値を提供することは、自分メディアの基礎となる価値観の形成に重要なのではないかと思いました。

 

それでは、また!

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