高野悦子さんの『二十歳の原点』を読みました。
『二十歳の原点』は1969年1月2日(高野悦子さんの20歳の誕生日)〜1969年6月22日(鉄道自殺する直前)までの約半年間の日記をまとめたものです。
二十歳であるが故の心の揺らぎ、様々な悩みを抱えつつ日記にその思いをぶつけ、常に自分に問いかけている姿が克明に絵が描かれています。
さて、『二十歳の原点』の最初のページには
「独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点である。」
という文言が書かれています。
おわかりの通り、この日記が『二十歳の原点』となったのは、この言葉か書かれているから。高野さんは半年の間、「独りである」「未熟である」ことについて常に悩み、思いをぶつけ、時にはタバコやお酒に逃げながらこの若々しい悩みと戦い続けます。
では、私(現在30歳の2児の母)の「二十歳の原点って何だったんだろう?」とふと心をよぎりました。自分が二十歳だった時を振り返りつつ、高野悦子さんとの違い、類似点などを探っていきたいなと思います。
もくじ
高野悦子さんの「二十歳の原点」
「独りであること」「未熟であること」が原点だと言っています。
では、具体的に「独りであること」「未熟であること」とはどう言うことなのでしょう?
「独りであること」とは?
高野悦子さんは、友達がいなかったわけではなく牧野さんという親友をもち、ワンダーフォーゲル部に入り山登りをする仲間にも恵まれ、4月に始めたバイトでもすぐに話し相手を作っています。コミュニケーションにはあまり苦労していないようにも見えます。
が、心の拠り所である家族に素直に自分の気持ちを打ち明けられない状況でもあったようです。特に父母には、世代のズレを感じており、若い悩みを聞き入れてくれないと日記にも書いています。これが「独りであること」なのでしょうか?
二十歳くらいだと、親に悩みを相談するのが少しカッコ悪い、私の心を埋め尽くすような悩みをわかってくれるはずがない、と思う年齢ですよね。まぁ、一人暮らしもしていて、今みたいに連絡手段が発達していないので両親に悩みを相談したい!というよりは、別のところに「孤独感」があったのではないかと思います。
それは、異性からの「愛」に飢えていた。
大学に入ると周りの友達に恋人ができ始めて、「自分だけが恋人がいない!」という状況になっていたのではないかと思います。もちろん、大学生の本分は勉強することなので、高野さんは、大学の講義に出たり(高野さんは大学の講義自体も問題視していたりしますが...)、図書館で本を借りたりして、勉強して過ごしています。
でも、ひとり暮らしの家に帰るとふと押し寄せてくるのではないでしょうか?誰かにぎゅーっとして欲しい衝動や、人の温もりを求めてしまうなど...男性とうまく話せないことを日記にも吐露しています。
私のすごく個人的な解釈ですが、高野さんの「独りであること」は恋人がいないということではないでしょうか。
「未熟であること」とは?
1969年1月2日の日記
私は慣らされる人間ではなく、創造する人間になりたい。「高野悦子」自身になりたい。テレビ、新聞、週刊誌、雑誌、あらゆるものが慣らされる人間にしようとする。私は、自分の意思で決定したことをやり、あらゆるものにぶつかって必死にもがき、歌をうたい、下手でも絵をかき、泣いたり笑ったり、悲しんだりすることの出来る人間になりたい。
高野悦子『二十歳の原点』
20歳にしてこんなことを考えているのか!と私は正直驚きました。
30歳になってやっと、日本の教育は「なんでも器用に出来る優秀な人材を育てる工場」になっていることに気がつきました。日本は、いわゆる「指示待ち人間、器用貧乏」を量産する教育制度になっているんですね。
しかし、高野悦子さん(をはじめとするその当時の学生さんたち)は20歳の時点、つまりその教育課程の最中にいるのにも関わらず、「慣らされている」と言うことに気づいているのです。
そして、そこから脱するために「自分の意思で決定して行動する」人間になりたいと目標を立てています。(その後、この目標の通り自分で考えて学生運動に身を投じ、国家権力の大きさに絶望することになりますが...)
『二十歳の原点』の中でしきりに、「勉強せよ!読書せよ!行動せよ!」ということを言っています。高野さんにとっては、「自分で意思決定して行動できない」こと、目の前で起こっている学園闘争に対して傍観者でいることが「未熟である」と結論づけています。
自分が何ができていないのか、どうすれば良いのか?をしっかり見据えて自分と対話している点で未熟ではないとは思いますが...
えいこさんの「二十歳の原点」
高野悦子さんと共通するところを少しまとめておきます。
- 都内の私立大学に合格していたのにも関わらず実家から遠い大学に進学を決める
- 大学進学と共に一人暮らしを始める
- 親から仕送りをもらっていた
- サークルに入り、友達もいる
- アルバイトをしていた
さて、高野悦子さんの「独りであること」と「未熟であること」という二つの軸で自分の二十歳を振り返ってみたいと思います。
えいこは「独り」だったのか?
高野悦子さんの場合は、家族とは物理的にも精神的にも遠く離れていたようです。友人の場合はわかりませんが、牧野さんという自分の考えていることを打ち明けられる親友がいたみたいだし、部活でも友達と山登りを楽しんでいたが、「恋人」という存在がいなくて「孤独」を感じていたのではないかという考察をしました。
同じような立場で比較してみると...
【家族】
私は大学に入学してから一人暮らしを始めて、物理的には家族と遠くなってしまいましたが、定期的に実家に帰ったり、電話で連絡を入れたりと、精神的に遠く離れたという感じはありませんでした。むしろ、一人暮らしができて適度な距離を置けるようになったので精神的に解放されました。(実家に帰ると特に母親とは衝突していたと思いますが...)
【友人】
私には考えていることを全て打ち明けて、議論ができるような親友はいませんでした。ただ、大学生っぽくアルバイト先での相談や恋愛相談をできる友達はいました。また、サークルに参加していて色んなところに旅行に行く友達や夜鍋を囲んで飲み会をする集まりにはよく参加していて、寂しいという感じはあまり無かったと思います。
【恋人】
その当時、付き合っていた人はいて恋愛面でも高野悦子さんほど困っていなかったと思います。ただ、そこは二十歳の恋愛で「この人とずっと一緒にいたい!」と思ったりして、自分を見失って相手に合わせたりしたこともありました。その人が、サークルの可愛い後輩の話をしたりしてやきもちを妬いたりなど、心の中は恋愛をしていない方が安定していたかもしれません。ただ、高野さんのように誰かにぎゅーってしてほしい、隣に誰かいて欲しいという欲求は満たされていたとは思います。
そんなこんなで、えいこは高野悦子さんと比べて「独り」ではない二十歳を過ごしていました。
えいこは「未熟」だったのか?
大学時代は勉強が楽しくて仕方がありませんでした。「変態!」と思われるかもしれませんが、小学校・中学校・高校の勉強よりもはるかに大学の勉強の方が面白かったのです。
それは、自分がやりたい将来の夢(「研究者になりたい!」)を持っていたから。
その当時、将来の夢に近づくために勉強に打ち込んだ時期もありました(試験前だけ)。友達には「なんとなく大学に入った」という人がいて、「なんでだろう?」と不思議に思いつつも勉強を教えていたこともありました。
そうしていたから、自分は未熟であると思ったことは無かったのです。
(その学年をその学年相当にこなして、良質な資本主義のネジに一歩一歩近づいて行っていたのでした)
....が、「無知の知」という言葉がありますよね。30歳の私から見たら「未熟であること」を知らない方が、「未熟であることを」知っている人よりもはるかに「未熟」です。
高野悦子さんは自分が未熟で何もできないことを悩んでいたのですが、大学時代の私よりもはるかに物事をよく知っていて、俯瞰的に物事を見られる視点を持っていたのではないかと思います。世の中の動きに敏感で、「自分がどうすれば変えられるのか?」を考えていた時点で、私とは考え方のレベルに差があります。
ということで、結論は二十歳の高野悦子さんの方が私よりはるかに成熟していた。
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高野悦子さんは、世の中に絶望してか、自分に絶望したのかはわかりませんが若くして命を絶ってしまいます。もしかしたら、高野悦子さんは色々考えすぎて二十歳の頭の中では処理しきれなかったのかもしれません。
それに対して、ほとんど何も考えずに二十歳を過ごしていた私はとりあえずは三十路までは人生を歩んでいます。『二十歳の原点』からは、学ぶこと、刺激を受けることがたくさんありました。
その整理の一環として、今回は高野さんの二十歳と私の二十歳を比べてみました。比較してみたところ私の「二十歳の原点」は、「独りじゃないこと、未熟であること」でした。
若い頃を振り返ってみて、若い頃は自由奔放で、自身に満ち溢れていて、希望にも溢れていて、人生の輝きを放っている時期だったなーと改めて感じました。若いって良いな
それでは、また!
『二十歳の原点』を書いた高野悦子さんと書かれた時代背景についてはこちらの記事にまとめています